古文書に記されている竹林を探す

ミステリー歴史

3回目の投稿となりますY氏です。

投稿が滞りがちで特派員から干される説が浮上しかねない状態ですが、頑張りたいと思います!

さて、今回は古文書ネタです。

でも難しい話じゃないので気楽に読んて下さいね!

文政4年(1821年)に福岡周辺の歴史をまとめた「筑前名所図会」という全10巻からなる文書が作られました。(→こちらのページで閲覧ができます

この文書の中の第3巻には志賀島についての記述もあります。

「志賀神社」というページから「吉祥寺・勝馬神社」のページまで7ページにわたって解説されています。

ちなみに、第1巻の福岡城に関するページは4ページしかありませんので志賀島がいかに歴史ある島であるかということがよくわかります。

筑前名所図会の中でちょっと気になったのがこちらのページの「長生竹(ちょうせいちく)」という項目です。

引用すると、

「長生竹 御社の西の側に竹林あり 皇后の御船に立たる旗竿を以て、地に立給ひしに、其竹成長して竹林となれり、よって後世旗竿に用ひ、又棹とす」

と記されています。要は、

志賀海神社の社殿の西側に竹林があります。これは皇后が船に立てられていた旗竿を地面にさしたらそれが成長して竹林になったものです。後世の人は(この竹を)旗竿として使ったり、船をこぐ竿として使ったりしました。

ということです。


志賀海神社の西側に今でも竹林が残っていたとしたらワクワクしますよね。

ちなみにここでいう「皇后」とは神功皇后(じんぐうこうごう)のことかと思われます。

神功皇后は2〜3世紀の人とされていますので、もし竹林が残っているとしたら おおよそ1800〜1900年もの間、存在していたことになりますね。

もう残っていないかとは思いますが、何か痕跡のようなものがないかどうか探しに行ってみたいと思います。


▲ 入口の鳥居です。ここはいつ来ても神聖な感じがしますね。


▲ 本殿に向けて進んでいきます。

もしかしたらちょっと山の中に入ったりするかもしれませんので靴はブーツ、ズボンは厚手のもので装備を固めました。


▲ 本殿にたどり着きました。

この西側に進んでいくと古文書に書かれていた竹林の場所です。

この本殿の場所も古文書の絵図を見る限りでは現在の位置から変わっていないはずです。(→絵図はこちら


▲ 西側の道。ここを奥に入っていきます。


▲ 何かを暗示するかのようにネコが軽トラックの下からのぞいていました。


▲ 「険しい道になるから気をつけろよ!」そう言われているような気がしました。

いざ、行かん!


▲ ・・・あった。

ものすごい近くに すぐ ありました。。。

あまりにも あっけなく見つかったのでびっくり!


▲ 何かに使用するためか、竹がまとめられていました。

今でも旗竿に使ったりしているのでしょうか。


クリックで竹林を拡大

まさかホントに残っていたとは!

あっけなく見つかったのでアレな感じもしますが、1800〜1900年もの間、ず〜っとそのまま あったかもしれないと思うと不思議な感じがしますね。

ではまた!

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このプロジェクトは島内外の「特派員」により、地に足を下ろしたローカルな志賀島を紹介していきます。

志賀島について

志賀島の基本情報

福岡県福岡市東区、博多湾に浮かぶ島。金印が発見された島として知られる。

歴史的には古代日本の海上交易を支えた、海人族である安曇氏の拠点であったとされ、海の要衝として重要な位置を占めていたとされる。また島の半分を玄海国定公園に指定され、陸繋島をはじめ、自然豊かな景観と古い町並みや暮らしが、今も残っている島である。

■人口 / 1,938人 世帯数 / 848世帯(2012年時点)

■面積 / 5.78 km2(東京ドーム約123個) 周囲 /11 km

■主管産業 / 漁業・農業

■特産物 / アジ・ワカメ・いちご(あまおう)

■所在海域 / 博多湾、玄界灘

■アクセス / 福岡市営渡船、西鉄バス、JR西戸崎線(西戸崎駅からはバス)